色々な分野でシークエンスという言葉が使われます。生物学におけるシークエンスとは、核酸、蛋白質、糖鎖などのポリマーにおいて、それを構成するモノマーのつながっている順番(配列)のこと、と何だか良く分かりません。
建築でも、シークエンスという言葉を使います。建築でのシークエンスとは、「移動することで変化していく景色・空間・光」と言ったらよいのでしょうか、これも分かりにく概念です。シークエンスに対する言葉としては、シーン=場面があげられます。連続するシーンによりシークエンスが構成されるので、正確には対義語とは言えませんが、「移動」と「動かない視点場」という面では対峙する概念です。
分かり易い例を挙げると、オープンハウスなどで、私の設計した建築を案内する時、大雑把に分けると、二種類の見方をする人に分かれます。
ひとつは、立ち止まって腕組をしながら、建物の佇まいや細かなデザインを観察する人。
もうひとつは、ニコニコした顔で楽しそうに建物の中を歩き廻る人。
私は、いつも後者の様に、「建築を感じたい」と思っていますし、「建築を感じてほしい」と思っています。ひとつの立面や場面が際立つ建築ではなく、動き廻る中から全体像を印象づける建築を創りたいと思っています。それは、絵画や写真・彫刻などの芸術と違って、建築だけが、人を包み込み・体感するものだからです。
あるコンクールで、著名な建築家に、私の設計した建築を見ていただいた事があります。現地審査といっても、彼等は建物の中を楽しそうに歩き廻るだけでした。やはり、シークエンスの中に建築を感じていたのでしょう。
人の生活は、ひとつの椅子に腰かけて一日を過ごすのではなく常に動きがあり、人は建物の中を歩き廻ります。
設計をする際に、「ここから見えるあの景色を大切にして下さい」という要望をいただく事もあります。勿論、「ここから見えるあの景色」も一場面として大切にしますが、私は、建築を動き廻る中で、その建物の空気・空間・移りゆく景色を感じられる事を大切にしています。
シークエンス、色々な造形物の中で唯一、「アクティビティー」=「人の活動」を包み込む建築が考えるべき事で、豊かなシークエンスをつくるのは、建築にとって最も大切な事のひとつです。